『若者のすべて』

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2019/8/15(木)

若者のすべてというサーキットイベントを大塚で行った。僕にとって若者のすべてというイベントはすごく特別なものなので、文章を書こうと思った。思ってた5倍長い文章になったので読まなくていいよ。本当に。日記なので。

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僕が若者のすべてというイベントを知ったのは一昨年のこと。高校を卒業して、バンドを本気でやっていこうと大塚を拠点に活動を始めた時、夏に大塚で大きめのサーキットイベントがあると人づてに聞いた。サーキットイベントの仕組みすらも全く知らなかったけど、ホームで活動している場所の大きめのイベントなら、どうしても出たいと思った。調べてみるとオーディションがあり、そこで勝ち上がれば誰でも出場権があると知り、すぐさま応募した。

オリジナル曲もあまりなかった為、そこから急いで曲を作り、本気で集客を行い、万全の状態でオーディション当日を迎えた。

当時僕らは様々なコスプレをしたり、ショートコントを行ったり、ふざけた歌詞を歌う、いわゆるコミックバンドとして活動していて、オーディションの日もいつも通り全力でお客さんを笑わせに行った。その結果見事1位を勝ち取り、念願の若者のすべてへの出場が決まった。1位が発表されたとき嬉しくてリアルで飛び跳ねたなぁ。

でも終わった後に共演者から聞こえてきたのは僕らの悪口。『順番が良かっただけ』『コミックバンドだから一般人の票を集めやすかった』『なんであいつらが』と散々なことを言われていた。悔しくて悔しくて、メンタルがもやしの僕は家で一人泣いた。当日そいつらが来るはずもないのに、絶対本番で見返してやる〜〜〜〜と意気込んでいたのを覚えている。後になって知ったことだが、僕らの悪口を言っていたバンドはその後すぐ解散したらしい。ばーかばーかざまぁみろ。

出演者とタイムテーブルが発表された時、僕はインディーズバンド業界に疎かった為、出演者で知っているのはみきなつみ位しかいなかった。高校生の頃未確認フェスティバルで聞いて同い年!?と衝撃を受けた人と同じイベントに出れること、こんなに大勢のアーティストが参加するイベントに出れることが嬉しくて、ドキドキして前日はあまり眠れなかった。

 

当日を迎え、いよいよ始まった初めての若者のすべて。サーキットイベント自体が初めてだった為ワクワクがとまらなかった。そんな気持ちで沢山のアーティストを見ていく中で、僕は段々と自信がなくなってしまった。こんなに上手い人達の中で僕らは浮いてしまわないだろうか、もし上手くいかなかったらどうしよう、不安で押しつぶされそうになり、緊張でお腹を壊した。本番が迫り、もうやるしかないと意気込み全身全霊で演奏した。

その時たまたま僕らの撮影を割り振られ、不幸にも撮影を行っていたのがいまの大親友の1人とみたむつみ(むっちゃん)だ。その時僕は頭がおかしく、どれだけぶっ飛んだ演奏を出来るかが勝負だと思っていて、正直本番の記憶がぼんやりとしかないんだけど、聞くところによるとむっちゃんの背後に周り、羽交い締めをしながら歌っていたらしい。どういうこと?って言われそうだけど、僕も思ったそれ。そのまんまの意味らしい。他人事だけどまじであんまり覚えてないんだよね…。本当に今となれば頭おかしすぎる……野蛮人かよ………。LIVEが終わりその話を聞いた僕は急いで謝罪しないと………!と思いダッシュでデパートにお詫び用のお菓子を買いに行き、むっちゃんを探し回った。当然むっちゃんは僕らのあとも別バンドの撮影があった為、忙しくて中々渡せず、終演後に渡そうと思いそのままほかの出演者を見に行った。

罪悪感を抱えたまま大トリを見に大塚Deepaへ行き、パンパンになった会場で初めてKOTORIを見た。見る前はこのバンドのドラムが今回の代表らしいってことくらいしか知らなかった。

 

 

演奏が始まった時の衝撃は今でも覚えてる。

 

 

メジャーデビューしていないバンドで、こんなにカッコイイバンドがいるのかと、全曲1回も聞いたことなかったのに、気づいたら拳を挙げていた。

この時のKOTORIを見ていなかったら、僕はこんなにバンドを続けていないかもしれない。それくらいに輝いて見えたのだ。

いつか僕もあんなにかっこいいバンドになりたいなぁとコミックバンドの癖に思ってしまった。いや目指すベクトル絶対違ったぞ当時の僕…。

終演後、むっちゃんに床を舐め回すように土下座をして、代表の田代さんと話をしに行き、僕のはじめての若者の全ては終わった。この時むっちゃんとここまで仲良くなると思っていなかったな〜〜〜、また水遊びしようぜ。。。

つーかここまで書いてまだ1回目か……………長ぇな………………

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2回目の若者のすべては、、、

正直あんまり覚えていない。というのも会場がOPENしてから、始まってもいないのにそれはもう楽しすぎて、馬鹿みたいに大麦を発酵させた麦芽による麦芽サイダーというソフトドリンク(ソフトドリンク)を飲んでしまい、早々に記憶を飛ばしてしまったのだ。恨むぜ波瑠さん……………

この記憶を無くした要因がもう1人の親友、波瑠さんだ。

去年の若者のすべて開催1ヶ月ほど前に出会い、脅威のスピードで仲良くなった。根が陰キャ、卑屈、考え方は子供、友達がいるのに友達がいない、好きな音楽がことごとく同じと仲良くならない要因がなかった。若者のすべて当日もOPENから浴びるほどの麦芽サイダーを一緒に飲んだ。今思えばあの時もお前スタッフだったじゃんよかったのかよ………

そんなこんなで僕の若者のすべて2回目は酔いつぶれながら始まった。僕らの出番はというと、大塚Hearts+という会場のトリをまかせてもらった。その年の代表のたいしんくんがタイムテーブルを送ってきた時『Heartsのトリ頼むね』と言ってくれた。こんな僕らがHearts+のトリって…前年度The Whoopsだぞ………と物凄く嬉しかった反面、少しだけ悔しい気持ちもあった。というのも大塚をホームとして1年以上活動している僕らが大トリを取れず、大塚にあまり出ていない街人が大トリだった。

街人は確かに死ぬほどかっこよくて、曲もすごくよくて、僕らよりも知名度あり、大トリが街人なのは当然と言えば当然だった。

それでも僕は悔しかった。なによりも、『なんで大トリ僕らじゃないんですか!!!』と自信を持って言えなかったことが悔しかった。

 

断片的な記憶だけど、僕は当日怒っていた。

 

大塚をホームに活動している同期や先輩のバンド達が、誰も悔しそうにしていなかったのだ。そりゃそうだ、考え方も違うし、悔しがっていないのが悪いなんてことは全くない。今思えば青いなぁと言う感じだが、当時の僕は自分たちのホームで行われるサーキットイベントで、大トリが大塚のバンドじゃないのに、あんまり悔しくなさそうなのが、なんだか少しだけ寂しかった。

酔っ払っていたのもあり、自分の出番中僕は悔しすぎて泣いてしまった。パンパンとは言えないが大勢の方が見守ってくれている大塚Hearts+のステージの上でかずいにブチギレながら『来年は絶対に大トリをとります。自他共に認めさせる。誰からも文句を言わせないくらい大きくなります。』と高らかに宣言していた。後日録音をきいてかずいに謝った。ごめんねかずい…………

あと断片的に覚えていることはJ-ANKENが楽しすぎたこと。早く復活しろ(定期)。あと大親友のアイワナビィを初めて見たのもこの日だった。

とまあそんな感じで僕の2回目の若者のすべては幕を閉じた。人生で1番長い文章を書いているな。間違いない。

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3回目の若者のすべて

うーん、どこから書こう。ここが1番長くなりそう。お腹空いた。タピオカ飲みたい。猫100匹飼いたい。

 

今年の若者のすべては、実は開催されない予定だったんだよね。

僕は去年の9月から大塚Deepaでバイトをすることになって、言うなら出演する側から開催側に回った訳なんだけど、今年の3月に去年の若者のすべてを取り仕切ってきたスタッフが就職や卒業で沢山辞めることになって、じゃあ今年は誰が代表やる…?ってなった時に誰も名乗り出る人がいなかった。

僕はなにより大トリに抜擢してもらう為に出演する側に回りたかったから、絶対スタッフなんてしたくなかったし、かずいは自分にその役目は荷が重いと思っていたらしい。

多分だけど、この時はお互いがお互いに、こいつ代表やるんやろうな〜〜〜と思っていた。そんな内に4月になってしまったのだ。

『今年は若者のすべて辞めよう』とかずいから相談された時、正直確かに開催は厳しいかもしれないと思ってしまった。

サーキットイベントを開催する時は、大体半年くらい前からブッキングを始めたり、開催に向けて動き出したりと、やることがハードコアのバスドラの音くらいある。4月の時点でブッキングが全く進んでいなかったし、バンドが忙しくなる8月なんて、どのバンドも段々と予定が決まっていく。

確かに開催は難しいかもしれないと思ったけど、僕はどうしても終わらせたくなかった。田代さんが作り、たいしんくんが受け継いだ、僕が世界で一番大好きなイベントを僕らが終わらせるのが悲しくて、少し考えてからかずいに『一緒に代表になるから、今からでもやろう』と言った。

うーん、少し美化してるな、もう少しぬるっとしてたかも。いやどうにかなるやろ!位の。まあでもやることにしたのさ。会場は念の為仮押さえされていたし、スタッフにも軽く声がかけられていた。そのスタッフというのが先程紹介した(伏線回収)むっちゃん、波瑠さん、そしてデザインの杏実さんだ。

やるの?やらないの?と困惑していた3人と去年のスタッフの方々に『やります!!!僕とかずい2人が代表で!!!』と言って開催がきまった。

 

開催が決まってからやることは無限にあって、もうそれはそれはてんやわんやそわんわん。ブッキングは案の定難航し、経費の目処も立たず思い切ったことができない状態だった。

それでもどうにかしなきゃ〜と思って動いていた。代表2人だし、大変なことも半分こやん!とタカをくくっていたけど、蓋を開けてみれば全くそんなことはなかった。

僕もカズイも、この仕事はあいつがやってると勝手に思い込み手付かずの仕事が出来てしまい、出来てないことがかなりあった。これやってないじゃん!と気づいた時も俺がやる!ともお前がやって!とも言えなかったのだ。代表が2人になったことで指示系統が機能しなくなっていた。

ズルズルと仕事が先送りになり、お互い相手に対してのヘイトが溜まりまくって行った。僕はかずいのこと友達の中でも片手に数えられるくらいめちゃくちゃ好きなのに、途中何度も嫌いになりかけた。

そんな状況を怒ってくれたのはむっちゃんと波瑠さんだった。『2人とも全然相談してくれないし、何が進んでて何が終わってないのかも私たち分からないよ。もっと頼って欲しい』と2人が言ってくれた。この2人がいなければ若者のすべて開催できてなかったと思う。きっと読んでいないだろうけど、僕は物凄く感謝している。言葉では言い表せないくらい。この場をを借りてお礼を言いたい。本当にありがとう。一生仲良くしてほしい。

 

もちろんデザインの杏実さんも。このデザインという仕事が一番大変だ。詳細が出たらすぐさまデザインを作り、誤字脱字がないかをチェックし、見つかり次第修正、追記事項があればその都度修正とやることも責任も多い。

フライヤー、タイムテーブル、Tシャツデザイン、グッズ撮影、販売と任せっきりになってしまった。色々大変な仕事をありがとう。これからのこと、聞いた時びっくりしたけど、僕は誰より応援してます。無理せず頑張れよ。ラロリー。

そこから主要スタッフで話し合い、終わってないこと、終わっていることを纏め、やることのスケジュールをたてて、ようやくちゃんとした開催が見えてきた。

誰に褒められる訳でもない事務作業をしていると、なんだか虚しくなって、終わったら絶対ボリビアに失踪してやるとか思ってたけど、それでもあと少し、終わったらめちゃくちゃいい風俗に行こうなとかずいとお互いを励まし(?)ながら働いた。

そしてやっと出演バンドが全組決まるとなった時、大事な大事なタイムテーブル作りが始まった。これが正直精神的に一番きつい。自分たちもバンドをやっているため、色々なことを考えさせられるのだ。さよなら10代の時はリアルに10時間近く考えた。

出演可能時間や兼バンしているバンド、知名度、ライブの雰囲気等を考慮しながら時間を決めていく。当日、怒られるのが怖くて『誰が考えたの?』と聞かれた時『担当のスタッフ!』と逃げたが、その担当が実は僕とかずいです。上手く逃げてごめんなさい。

僕がタイテを決めることになった時、どうしても譲れなかったのがFancy Girl Cinemaが大トリだということ。これだけはどうしても譲れなかった。

僕は正直、大塚のサーキットイベントで大塚のバンドが大トリ飾らないんなら、下北沢でやればいいじゃんと思っている。それが絶対正しいとは思っていないしこれからどうなるかは分からないけど、アクセスもまり良くなく、ライブハウス数も少ない、お年寄りばっかりが住んでいるこの街でやる意味が欲しかった。

大塚の先輩であり、僕が死ぬほど大好きなFancyを大トリにしたら、『お前のエゴじゃん』って言われそうで少し怖かったけど、そんなことは関係なかった。Fancyは間違いなくトリを任せられる今年最高のバンドだったし、満員の会場でFancyを見てみんなが笑顔の若者のすべてを僕らは作りたかったのだ。

かずいも『それがいい』と快く言ってくれて、そこから3時間くらい話し合ってタイムテーブルをどうにか完成させた。北千住のサイゼリヤで。

Fancyのことだけを代表して書いたが、他にも僕が呼んだバンド、かずいに任せたバンドもとっても大好き。正直なことを言うと音楽的にあんまり好みじゃないバンドもいるけど、それでも僕が好きじゃないだけの最高の音楽を鳴らしている。今年の若者のすべてにはどのバンドも欠かせなかったと思う。綺麗事のようだけど感謝しかない、出演してくれて、大塚という街で最高の音楽を鳴らしてくれてありがとう。

そうしてタイムテーブルを発表し(開催一週間前になって皆さん本当にごめんなさい)、バタバタしながらも前日は徹夜で準備をして本番を迎えた。

 

本番のことは、あまり書かなくていいかもしれない。書かなくても忘れない。それくらい楽しいイベントを作れた。

いろんなバンドを少しずつ見ながら仕事も並行して行い、自分の出番もこなして、ここ数日全身が筋肉痛になるくらい走り回ったが、笑顔が沢山見れて、それだけで嬉しかった。

もしかしたら、僕の知らないところで悲しいことがあったのかもしれないが、僕が見た限りはみんな笑っているように見えた。

最後のFancyの時、笑顔で歌っている満員の会場を見て、かつてないほどに泣いてしまった。かずいが隣で『俺らが見たかったのってこれじゃんなぁ』とか臭いこと言いやがって、そんな寒い言葉でさらに泣いてしまった。寒すぎ。

最後の最後で僕は、最前で過呼吸になるほど泣いてしまったが、僕の大好きな大塚という街に、僕の大好きな音楽が溢れ、たくさんの人が笑顔で楽しんでいた。これ以上のことがあるだろうか。前向きに死んでもいいと思えた。

 

この日を一緒に作ってくれた大塚Deepa、大塚Hearts+、大塚Hearts NEXT、大塚MEETS、大塚Welcome backのスタッフの方々、総勢57組の出演者、16人のカメラスタッフ、3人のボランティアスタッフ、宗憲くん、りのち、はさきち、モデルのちょい改め國嶌りょうさん、むっちゃん、波瑠さん、杏実さん、かずい、会場に集まった総勢500人の方々、一人一人に握手をしながらお礼を言いたい。

本当に支えてくれて、一緒に作り上げてくれてどうもありがとう。とても楽しかった。

 

 

 

きっと僕は、今日という日を何年経っても思い出してしまうな。そう思える1日でした。

 

 

 

長くなってしまった。それじゃあまた来年。

楽しんでな〜〜〜!

 

 

 

 

 

いやつーか来年こそは絶対に大トリをもら(文字数)